もくじ
第1章 自己紹介!
はじめまして(*’ω’*)
当ブログをご覧いただき
ありがとうございます!!
みかと申します(^^♪
早速、自己紹介をさせていただきます☆
♡みかってどんな人?
出身は、九州のとある田舎。
きれいな自然に囲まれた場所です。
年齢→26歳
職業→少し前まで事務(正社員)でした。
…が、事情があって辞めました。
(詳細は読み進めると分かります。)
趣味・特技
趣味↓
・一人カラオケ(悲しいとか言わない!)
・ゆっくりできる場所でまったり過ごすこと(^^)
特技↓
ハマったものを
飽きるまでとことん継続すること!!
みんなの特技とは
全然比べ物にならず
恥ずかしいですが(;´д`)
そんな自分も
丸ごと受け入れております!
ただ、受け入れるまでが
きつかったんですがね…。
トホホ笑
第2章 これまでの歩み
第1章だけを見ると
「こいつ相当能天気でおめでたいバカ女なんだな~」と感じる方もいるかもしれません。
(バカなのは大正解です!)
残念ながら
私の過去は
「ストレートにリア充!」
というものではありませんでした。
というかぶっちゃけ
そんな生ぬるいものじゃありませんでした。
学歴こそなんとか
大学まで出ることができたものの
自分にとってはあまりにも
辛いことが沢山起こりすぎた人生でした。
以下で、ざっくばらんにお話しします。
まず、私のステータスとして
以下を頭に入れていただければ
と思います。
私のステータス
・友達がなかなかできない。(あっ察し)
・手先が超不器用
→家庭科や技術では、実技で毎回大恥さらし。
→グループの人に手伝ってもらうのが定番に。
睨まれてもう大変。
・極度の運動音痴
→特に球技が壊滅的にダメ。
→通知表で2をとった実績付き。(5段階中w)
→完全にペーパーテストのお情け恩恵のみ。
・聴力は正常なのに、聞き取りがうまくできない
・というかそもそも聴覚を使って話の内容を覚えることが苦手!
→特に短期的なものが全然ダメ。
これらすべて
小学校の頃からずっと
悩んでいたことです。
小学校の時点で
これだけのステータスの悪さを抱えた私は
のちに自己肯定感が底辺まで
落ちることになるのです。
…以上、私のステータスです!
あなたはこれを見てどう思いますか…?( ;∀;)
周りにはこんな人
そうそういないと思いますよ。
もしあなたと私が
同じ空間にいたとしたら
あなたはおそらく
私のことを嫌っていたでしょう。
同じ日本に住む人間なのに
ここまで恵まれなかった「ザ・宇宙人」が
本当に存在しているのか、と。
上述の、驚異的なステータスの悪さを
頭に入れていただいて
お話を読み進めてください。
私の歩み、全てお見せします
私は、小学校時代から
勉強やテストなど
長期記憶がモノをいう物事こそは
可もなく特に不可もなく
といった感じでした。
(可もなくですよ、可もな…ッ!←注目)
あ、勉強はまだマシといっても
数学だけは断トツでダメ。
偏差値40台前半の実績あるので。
ちなみに
校内偏差値じゃなくて
全国偏差値で!!!!
つまり平均以下ってことです。はい。
血反吐するくらい
頑張っても
50台前半にまでしか
伸びませんでした。
(もちろん全国偏差値で。クソ)
頑張りの要領も頭も悪いです。ナウで。(死語ですかね?)
とにかく
長期記憶系以外は…
ほぼすべて
といっても過言ではないくらい
人よりも、はるかに物事の出来が悪く
そのために激しい劣等感を
常に持っていました。
出来が悪いことで
「なんでできないの?」と
クラスメイトや先生に
責められることもよくあり。
そうしていろんな物事で
挫折を味わうたびに
「なんで、私はこんなにできないんだろう」
「どうして、頑張ってもできるようになれないんだろう」
「いつも、私だけ…」
と思うことが増えていきました。
小学校4年生ごろにはもうすでに
色々なことに対して、始める前から
「私には、どうせ無理だから…」
と、前置きをして
挑戦を諦めるようになっていた自分が
完成していたような記憶があります。
これは(当時の私としては)
決して、一過性の
「被害妄想」からくるものではなく
自分の可能性や現実を
ちゃんと見て理解したうえでの選択だと
自信をもっていますが
…いましたが!
この考えが
「物事によっては、まだ、時期尚早だぞ!」
と、十数年後に本格的な
自分ツッコミをすることになります。
(これはまた少し後のほうで!)
ここから先も私の
悪すぎステータスは続きます。
中学
・友達は一応できたものの続かない
・とにかく異性に全くモテない
・部活では、もちろん同期イチのポンコツ
・後輩にも技術で抜かされ、なめられる
高校
・親しい友達ができなかった
・とにかく異性に全くモテない
何とか進学できた大学
はじめに申し上げておきますが
私の卒業した大学は
世間一般的にいう「名の知れた大学」
ではありません。
例↓
・東大、京大、そのほか旧帝大
といわれる国公立
・早慶上智、GMARCH、関関同立、
成成明学、日東駒専、産近甲龍
(↑もしかしたら今は別の呼び名があるかもしれません。)
など、有名どころの私立大
…など、上記のような、
名の知れた有名な大学は出ていない
という意味です。
あえて言うならば
地元民(かろうじて、九州圏内)
なら馴染みがあるって感じですかね。
ちなみに大学は推薦合格です。
(↑頭のいい人は、私のことを確実に
【アッ察し】案件として扱ってくるやつ。)
一般でも何とかなる感じでしたが
いち早く学校から脱獄(笑)
したくて推薦を受けたら
受かってしまった…という感じです。
あ、それと、文系です。
自他ともに認める大バカです。
ではそれらを踏まえて
ステータスに戻りましょう。
大学では…
・これまでに比べ、友達はできた感覚。
→しかし、限られたごくごく一部を除き、続いていない
・アルバイトが続かない
→続いても半年とか。
・とある試験に現役で受からず、就職浪人
→これまでの人生経験で自己肯定感が本当に底をつき、他の企業を受ける自信が皆無になったため。「ストレート卒業」が大学に通うための条件だったので、卒論に時間をかけることを決意。
・卒論執筆の時、強迫性障害のような症状がでる
→未診断ではあるが、ネットで数多くのサイトを調べて「これだ」と確信を得た。大学4年秋当時、薬に絶対頼りたくない&精神科には絶対行きたくないという、今考えると超つまらないプライドで必死になり、ネットで調べつつ、自分の生活スタイルに合わせて自己流でメニューを組み込んでいき、医者に頼らず自分で治療。約2年かけてこの症状は寛解。
そして、既卒1年目
・試験で1つ下の後輩の
フレッシュさに圧倒されてしまう
・(個人的に恥を忍んで)
大学の就職支援センターを訪れる
・ハローワークに通い詰めて
交通費がかかりすぎて絶望する
・どうにか就職先がきまる…が…
→普通ならこれ一番喜びたいところ!なんですが…
そこが、とんでもなく…
何も経験のない新人が働くにあたって
決していいとは言えない環境であるとは。
ついに正社員デビュー
-今から約2年前、私は事務職の正社員になりました。
仕事を始めた当時は
正直毎日楽しかったです。
でも、配属されたのが
治安の悪さで有名な場所だったのが
運の尽きだった…ような気がします。
入社後、ほどなくして私は
・指導係のお局様の性格の難しさ
・なぜかお局様だけを擁護する
とある男性社員の性悪っぷり
に気がついてしまいました。
(男性社員の性悪っぷりはすでに他の店舗でも有名でした。)
社長は父のように優しい方だったので
幾分か救われましたが
「ああ、この人たちとは持って1年弱…かも…」
と直感が叫んでいました。
治安が悪いのに
こんなにダメな私はやっていけるのか。
怯えながら、時には青い顔をして
お局様と某男性社員に怒鳴られながら
仕事を淡々とやっていました。
当時は、強迫性障害のような症状も
まだまだあったので
それとも闘いながら
ひとりで治療に奔走していました。
事務職とはいっても
詳しくは申し上げられませんが
私は、(1人だと、)わりと短期記憶が
モノをいう仕事を担当していました。
(長期記憶のは、ほとんどなかった記憶。)
短期系は文章で書いてあると
まだ比較的マシなのですが
「瞬間系のもの」になると
どうしてもきつい部分があります。
自分としては少し工夫をしても
苦手意識があったので
本当に一瞬一瞬にエネルギーを
費やしてしまっていました。
そのさなか
色々と案件がかさばってきて
残業がどんどん増えていきました。
それとともに私の体力とキャパシティが
どんどん削られていき
体調が悪いまま
仕事をする日も増えました。
そして気が付いたら
死ぬことしか考えられなくなっていって。
ああもうダメだ、と
思っていた矢先に…
とある出来事が起こったのです。
ついに、その時はやってきた
それはある日の昼休みに起こりました。
外でやっとの思いで
リフレッシュをしてきた後
ふいに何か嫌な予感がして
音を立てずにオフィスの扉をこじ開けると…
お局様が1人パソコンに向かって
【※禁断のワード※】を
検索していたのです。
(すみませんが、大変ヤバすぎてとても申し上げられません…)
もちろん
今でも覚えていますね。
記憶からは決して
消えることはないでしょう。
「私がお局様にとって、どれだけの落伍者であるか」
という事実を
この目で見てしまったので。
「事実」を見た私は激しく動揺し
さらに大きく体調を崩しました。
私が悪いのは100%だけど
こんな人柄の人とは、もうごめんだ
と思い退職を決意したのですが
周囲の事情もあったので
色々あって思いとどまり
不調をまずどうにかしようと
病院を受診しました。
しんどい中様々な検査を
泣きながら行いました。
診断結果はうつ病でした。
まさか自分が、と思う気持ちと
やっと診断が降りた…という気持ちが
交錯しました。
そして主治医や社長との話し合いの末
まず休職をすることにしました。
休職中はしんどくて
強迫性障害っぽい症状も
だいぶ落ち着いてはいたけどあって
もちろんひたすら
ふさぎこんで泣くこともあって。
休み続けるにつれて
調子のいい日も増えてきましたが
・なんで自分は生まれてきてしまったんだ
・なんで自分だけが能力無くて
こんな思いをしなければならないんだ
とずっと自分を責めてばかりでした。
私の歩み後半 ~どうにか立ち上がろうとする私~
つい1年くらい前から
「どうにかこの状態から脱しなければ」
と考えられるようになり
色んな方々と交流を
するようになりました。
そこで、とあるビジネスの方と出会いました。
グループの方は
収益を上げてらっしゃる方が多かったし
話を聴いて
内容も充実している感じを受けたので
もしかしたら復職に向けた
リハビリにもなるかもしれない、と
そのビジネスを
始めることにしました。
始めるにあたり、まずは自主的に
今まで自分が成し遂げてきたことの
掘り下げをしました。
「あれ…掘り下げられない…」
その時、どれだけ自分が
薄っぺらい人生を歩んできたかを
まざまざと見せつけられ
挫折してしまいました。
そこからほどなくして
退職を決意しました。
退職をしてからは
定期的に関心がある事への
情報収集を行ってきました。
しかし
情報収集をしていくにつれ
様々な支払いでどんどん
お金が無くなってきてしまい。
傷病手当こそありましたが
社会人1年目で無念のリタイアを
してしまった私(しかもド田舎の事務員)に
支給された金額は…
(すみませんがどうかお察しください。)
非常に焦っていたので
そろそろ何か収入源を
他に作っていかなければ
ということが頭をよぎっていました。
でも…能力が無さ過ぎて
普通の仕事はもうだめかもしれないし
もうこのまま病気に怯える人生しか歩めないのかな
とばかり考えてしまい
就職先を探すことには
抵抗がありました。
わがままかもしれないけれど
「就職は、できれば、まだしたくない…」
考えるのは
こういうことばかりでした。
以上のように誰がどう見ても
私は「失敗作」の人間です。
というかもう人じゃない気がしてきました。
(※私は他の人に対してこうは思いません。あくまで私自身だけに、です。)
第3章 「失敗作」が、一歩を踏み出してみた。
2019年、11月の上旬。
一段と冷えた日だったような。
私は、うつ病で仕事を退職して
そろそろ1年を迎えようとしていました。
社会復帰できるほど
そんなに元気じゃないけれど
傷病手当の申請書が
主治医の判断次第では
書いていただけなくなるかもしれない。
そんな時期に差し掛かってきたな、と感じていました。
個人的には、まだ頭の機能が
回復しきっていない感覚だったので
社会復帰できるまでには
まだまだ時間がかかる容体かなと
思っていました。
とにかく傷病手当の申請書を
書いていただけないと
前に進めない状態。
書いていただけなくなったら
貯金もどんどんなくなってくるし
働けるほどの頭の機能もないので
希望が無くなってきます
(私個人の感覚です。)
「もし書いていただけなかったら
私はもう、人生終わりだ。もうこれまでだ。」
本気でそう思っていました。
そんなとき、いまの私の師匠の存在が
頭に浮かんできました。
私の師匠は、吃音の当事者で
吃音を抱えた状態で
仕事を続けながらも
アフィリエイトの時間を確保なさり
上りつめて脱サラに成功された方です。
私は師匠の存在を
2018年の11月ごろに知り
(ちょうど1年前くらいか!)
そこから地道に
ヲタ活(笑)をするかのごとく
追いかけていました。
頭が回復していないので
地道に追っかけといっても
発信を覗くだけだったのですが…
師匠自身が
毎月結果をちゃんと
出していらっしゃるようだし
DMで無理矢理な勧誘なんてしてこないし
お弟子さんたちも続々と
結果を出していらっしゃるようだし
まぁ、とりあえずすこし
話すだけでも…と思い
勇気をだしてコンタクトをとってみました。
お話をしていくうちに
自分の知らない世界が
広がっていることを体感できました。
でも、お話し中何度も何度も
自分の中で葛藤をし、悩みました。
私には、とあるビジネスで
失敗をした前科があったし
ステータスも最悪中の最悪なので。
(正確にいうと、失敗というよりは、【能力が無さ過ぎる故に、自信を持てるものとして発信できるものが何にもなかった…】のです。)
失敗に怯える私だったのですが
頭の中で考えていくうちに
「今挑戦しないで、いつ挑戦するの?」
「能力がなさすぎることを正当化しすぎて、ずっと逃げるだけの人生でいいの?」
という想いが浮かんできました。
葛藤する中で出した結論は
『挑戦して、未来をいい方向に変えていきたい。諦めるのは時期尚早すぎる。』
でした。
金銭的には超崖っぷちだけど
ここで諦めるわけにはいかない。
「小さな成功でもいいから、私が成功して、辛い思いをしている方々の希望にちょっとでもなりたい。」
という想いが私を
アフィリエイト開始に突き動かしました。
ここまでご覧いただき
本当にありがとうございます!
次の章で最後になります!
読んでいただけたら嬉しいです!
第4章(最終章) アフィリエイト開始!
2019年11月上旬に始めた私。
パソコンは、ネットの検索以外は
授業で習った、最低限の機能しか使ったことがなく
そのほかの機能やツールに関しては
全然何にも理解できないよ…何これ
という状態でした。
病気の状態が、まだよくないので
(※1年前と比べるとまだまし。)
作業や、分からないことを調べるために
長時間パソコンに張り付いていると
辛い思いをすることがあります。
そういう時は少しだけ
パソコン操作から離れて
「疑問点洗い流しタイム」を設けています★
ここである程度あぶり出し
自分で調べても分からないところを
積極的に師匠に質問するようにしています!
いまどんな状態なの??
まだまだ始めたばかりで
師匠・兄姉弟子さんのようには
なかなかできていませんが
追いつけるように
地道に地盤を固め
頑張った分だけ
成果が出るということを信じて
継続をして這い上がっていきます!
以上で自己紹介を締めくくらせていただきます★
ここまで読んで下さって
うれしいです(^^)
これからもよろしくお願いいたします!

